| No.746 | 投稿日時: | 2002/10/08(火) 00:30 <↑親記事:No.745> |
| 投稿者: | K <E-Mail> |
こんばんは、
> ついでで恐縮ですが、
> どうしてこういうことになったのか、事情をご存知ですか。
そこまではわかりませんが、この時期のカラヤンの映像作品には、複数の撮影をおこなったものがいくつかあるようです。
たとえばヴィヴァルディの《四季》、EMI盤と同時期にどこかの宮殿でVPOと撮影していますが、発売されたのはずっとあとのBPOとのライヴです。
ドイツ・レクィエムもDG盤と一緒に撮影していても良さそうなものですが、こちらも全然違う時期の違う歌い手とのものが発売されています。
> CDでも83年のものは出ているので、
> 出来に満足していないとは考えにくいのですが。
それだけカラヤンにはこの曲への執着があったのではないでしょうか。
> 単にバルツァとの喧嘩が影響したとか、
> あるいは、何か、カラヤンに意図があったのでしょうか?
バルツァとの喧嘩は85年の夏から86年の夏までのあいだにおこっているので、確かに時期としては符合しますね。
最終的には和解したようですが。
この映像作品での演奏はCDとして復活祭音楽祭の会員に配布されたようで、ファン・サービスのための録音セッションでついでに撮影したのかも知れません。
普通に考えると、逆ですが。
それから日本盤LDの帯には、この演奏こそカラヤンにとってのこの曲の「結論」という宣伝文句がありました。
カラヤンの「結論」では、この曲に若々しさを求めていたのでしょうか。
だったら先に合唱団を変えろと言いたいですが(w。