| No.1712 | 投稿日時: | 2006/01/12(木) 21:46 <親記事> |
| 投稿者: | Jimmy |
当初「家庭交響曲」がアナウンスされていた10/31の演奏会ですが、「英雄の生涯」に変更された理由はオーボエ・ダモーレのソロを吹く予定だったコッホが来日できなくなったため、ととある掲示板で見ました。このあたりの情報をお持ちの方がありましたら教えて下さい(既出でしたら済みません)。
| No.1713 | 投稿日時: | 2006/01/12(木) 22:26 <↑親記事:No.1712> |
| 投稿者: | karayanus <E-Mail> |
> 当初「家庭交響曲」がアナウンスされていた10/31の演奏会ですが、「英雄の生涯」に変更された理由はオーボエ・ダモーレのソロを吹く予定だったコッホが来日できなくなったため、ととある掲示板で見ました。このあたりの情報をお持ちの方がありましたら教えて下さい(既出でしたら済みません)。
--------Jimmyさん Karayanusです
73年の来日公演は 食い入るようにTV放送を見て ラジオをカセットに録りましたので 良く覚えております. 家庭交響曲が英雄の生涯に
変わった訳で 奏者が来日できなかったのは覚えているので間違いありませんが それがコッホ(1935生)なのかどうか 定かではありません.確かコッホはTVの中にいたような気も致します.ビデオでチェックしてみます.
もし画像のどこかにコッホがいれば 他の奏者が来日できなかったと思います.コッホより一回り若いかのシュレンベルガー(1948生)は BPO入団が29歳の時1977年なので彼はありえません. (ちなみに当時はケルンのオケにいたのでカラヤンの世の終わりの劇の録音に参加していたはずです)当時は他にはハインリヒ・ケルヒャー(1923生)と 有名なゲルハルト・シュテンプニク(1924生、コールアングレの奏者でもありますが)、それにシュレンベルガーと同じ年のブルクハルト・ローデがいたはずですので もしビデオにコッホがいれば この中の誰かではないでしょうか.
Karayanus
| No.1715 | 投稿日時: | 2006/01/13(金) 18:15 <↑親記事:No.1713> |
| 投稿者: | シーザー |
通りがかりの者です。この家庭交響曲の変更については私もかねてから考察してましたが、1.曲目変更が発表されたのは確か来日してからの事だったと思います。10/31が家庭交響曲の日。 2.10/26及び27の公演の映像では首席のコッホももう一人の首席シュタインスも居ります。もちろんシュテムプニクも居ます。オーボエダモーレならシュテムプニク以外が吹く事は考えにくいと思います。 奏者が病気という理由に私は疑念を持ってます。 この時の公演プロを見れば分かるとおり、大変盛りだくさんの内容です。来日する直前(6ヶ月以上)に取り上げていない作品が半数以上占めてます。実際当時の「音楽の友」にBPOのメンバーが言うところ「来日してからずっと練習と本番の毎日でホテルと会場を行き来しているだけだ」と悲鳴をあげてました。こんなハードなスケジュールは楽団始まって以来だと。
私の推測ですがまだ当時家庭交響曲は彼らの定番プロでは無かった。十分な練習時間を取る事が不可能と判断した為に直前に変更したのではないかと思ってます。ブル7や浄夜のライブ録音を聞く度に物凄く練習した形跡があるので(カラヤンの意図が徹底している)余計にそう感じるのです。 でも本当のところは当事者に確めないと分りませんけどね。
| No.1716 | 投稿日時: | 2006/01/13(金) 21:37 <↑親記事:No.1715> |
| 投稿者: | karayanus <E-Mail> |
karayanusです
シーザーさんに先にご報告を頂きましたが ローター・コッホは
27日のワーグナーで吹いております. それとConcolorさんのサイトによると 来日の少し前73/8/31のルツェルンで オネゲルに続き家庭交響曲と記載が御座いますが この日は全軌跡及びHuntの記録では 悲愴が演奏された事になっております.
日常的なレパートリーでない事は明らかで Huntの放送記録などを総合するとカラヤンの確かな家庭交響曲の演奏機会は 下記の如く極めて短期間となります
1)73-1-7、8 四季の後 本拠地 (Huntが放送記録を記載)
2)73-2-5 ジュピターの後本拠地 (Huntが放送記録記載)
3)73-5-15 シュトゥットガルトにて ベト2の後半 全軌跡やHunt93年版では不詳なるも Huntは98年版で記載
4)73-6-25 パリ ベト4の後半
5)EMI録音 73-6-23から25 パリにて
6)74-4-9,15 復活祭
最後に73年のプログラムは シーザーさんがご指摘の通り 過去に例の無い多彩な素晴らしいもので 66/70/77年はベートーベン全集を演奏したカラヤンが73年だけは 初日(田園/運命)と最後(英雄)にベートーベンを置き バッハから年代を概ね順に経て シェーンベルクへと行き着く 素晴らしいものでしたが オケにとっては大きな負担だったと思います.NHKが企画したのか カラヤンが企画したのか興味のある所です.
Karayanus
| No.1717 | 投稿日時: | 2006/01/13(金) 23:04 <↑親記事:No.1716> |
| 投稿者: | Concolor <E-Mail> |
皆様、今晩は。
ご指摘を受けてただ今家庭交響曲の演奏会記録を再確認しました。
とはいっても資料はKARAJAN CENTRUM、Huntの"philharmonic autocrat2"(2001)、ONTOMO MOOKだけです。
http://www.geocities.jp/concolor1957/RStrauss10.html
1973年8月31日のルツェルン国際音楽祭のプログラムは
KARAJAN CENTRUM(2006.1.13.)では家庭交響曲
Huntのphilharmonic autocrat2(2001)では家庭交響曲
ONTOMO MOOK(1996)ではチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」
と資料により異なります。
ルツェルン音楽祭のプログラム冊子は1977年以降のものは画像提供を頂きましたが、1973年のものはまだ目にしたことがありません。
(もっともプログラム冊子に印刷されたとおりに演奏会が行われたとは限りませんが。)
http://www.geocities.jp/concolorkenzo/FestwochenLuzern.html
ライヴ音源として1973年2月15日ベルリン・ライヴ、1974年4月9日ザルツブルク復活祭音楽祭ライヴが存在することは同好の士に教えていただきました。
1973年8月31日の未発売放送音源としてHuntのphilharmonic autocrat 1(2000)のp332にはチャイコフスキーの「悲愴」が記録されています。
これは翌9月1日に同じくルツェルン音楽祭演奏会で取り上げられた「悲愴」のことで8月31日は誤記ではないかと私は判断しています。
(1973年9月1日の演奏会は2001のHuntのphilharmonic autocrat 2,p271に「悲愴」が記録されています。)
本題の1973年来日公演時に家庭交響曲から「英雄の生涯:」に変更された理由については情報を何も持っていません。
では。
| No.1718 | 投稿日時: | 2006/01/14(土) 00:20 <↑親記事:No.1717> |
| 投稿者: | karayanus <E-Mail> |
皆様
karayanusです.
どうやら事は単純ではないようです. Huntの98年版を確認したら 73年のルツェルンは以下のようになっておりました.
73-8-31 オネゲル3番+家庭交響曲
73-9-1 オネゲル2番+悲愴
全軌跡と Huntの93年版ではこうなっています.
73-8-31 オネゲル2番+悲愴
73-9-1 ベルク 管弦楽の為の三つの小品+運命
一方Huntのフィルハーモニーオートクラット98年版の未公開
音源の雑誌では 以下のようになってpります
73-8-31 オネゲル2番+悲愴
73-9-1 オネゲル3番+運命
どれが一体本当なんだか?
Karayanus
> 皆様、今晩は。
>
> ご指摘を受けてただ今家庭交響曲の演奏会記録を再確認しました。
> とはいっても資料はKARAJAN CENTRUM、Huntの"philharmonic autocrat2"(2001)、ONTOMO MOOKだけです。
> http://www.geocities.jp/concolor1957/RStrauss10.html
>
> 1973年8月31日のルツェルン国際音楽祭のプログラムは
> KARAJAN CENTRUM(2006.1.13.)では家庭交響曲
> Huntのphilharmonic autocrat2(2001)では家庭交響曲
> ONTOMO MOOK(1996)ではチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」
> と資料により異なります。
>
> ルツェルン音楽祭のプログラム冊子は1977年以降のものは画像提供を頂きましたが、1973年のものはまだ目にしたことがありません。
> (もっともプログラム冊子に印刷されたとおりに演奏会が行われたとは限りませんが。)
> http://www.geocities.jp/concolorkenzo/FestwochenLuzern.html
>
> ライヴ音源として1973年2月15日ベルリン・ライヴ、1974年4月9日ザルツブルク復活祭音楽祭ライヴが存在することは同好の士に教えていただきました。
>
> 1973年8月31日の未発売放送音源としてHuntのphilharmonic autocrat 1(2000)のp332にはチャイコフスキーの「悲愴」が記録されています。
> これは翌9月1日に同じくルツェルン音楽祭演奏会で取り上げられた「悲愴」のことで8月31日は誤記ではないかと私は判断しています。
> (1973年9月1日の演奏会は2001のHuntのphilharmonic autocrat 2,p271に「悲愴」が記録されています。)
>
> 本題の1973年来日公演時に家庭交響曲から「英雄の生涯:」に変更された理由については情報を何も持っていません。
>
> では。
>
>
| No.1724 | 投稿日時: | 2006/01/16(月) 23:06 <↑親記事:No.1718> |
| 投稿者: | Concolor <E-Mail> |
karayanusさん、今晩は。
1973年のルツェルン音楽祭のプログラムが資料によって食い違っていますね。
このような場合には公演プログラム冊子から確認して他の資料と比べてみるのがよいと思っているのですが、残念なことにプログラム冊子を目にした事がありません。
KARAJAN CENTRUMの記録に報道記事が掲載されている演奏会もあるのですが、1973.8.31.と1973.9.1.にはありません。
もう少し探してみます。
では。
| No.1726 | 投稿日時: | 2006/01/17(火) 00:50 <↑親記事:No.1718> |
| 投稿者: | karayanus <E-Mail> |
> 皆様
>
> karayanusです.
>
Huntが unpublished radio broadcast と書かれた欄に 記載が敢えてある未公開ラジオ放送を正しいとすれば73年のルツェルンは
音源が出てくれば間違いないと思いますが 多分以下ではないかと思います. それぞれに 記載がありますので.
> 73-8-31 オネゲル2番+悲愴
> 73-9-1 オネゲル3番+運命
やはり家庭交響曲は演奏されなかったか?
ルツェルンをエアチェックされた方の情報提供を望みます
Karayanus
| No.1753 | 投稿日時: | 2006/02/07(火) 23:28 <↑親記事:No.1712> |
| 投稿者: | Ken |
懐かしい思い出。73年の公演は6月に落成したNHKホールの記念公演の一環で、指定葉書による抽選だったと思います。そのためか希望者の少なかったと思われる10/29(ブラ3と海)10/31(未完成と家庭交響曲)の残り券が売り出されると知り徹夜で並んで10/31のチケットをゲットしました。66年に海を聴いたことがあったので、なじみのない家庭交響曲でしたがカラヤンのR.シュトラウスということで31日の公演にしました。ところが当日会場で急遽英雄の生涯への変更。大喜びした覚えがあります。オーボエダモーレの奏者が来日しなかったからか急病であったかの記憶は定かではありません。プログラムにのっているメンバー表を見てみますとオーボエはコッホ、シュタインスのソロのほか、ケルヒャー、シュレーフォクト、シュテンブニク(イングリッシュホルン)がリストアップされてました。あと巻末には世界に先駆けての10月末発売の家庭交響曲の広告(EMIエンジェルレコード)がありました。結局発売広告公演にならなかったということか、、、